抗HIV治療ガイドライン(2024年3月発行)

IX抗HIV薬の副作用

7.ミトコンドリア障害

 抗HIV薬の副作用の中には、薬剤による細胞のミトコンドリア障害と関連があるものがある。HIV感染者では非感染者に比べ、薬剤によるミトコンドリア障害の影響を強く受ける83)。NRTIによるDNAポリメラーゼ-γ阻害が、抗HIV薬によるミトコンドリア障害の潜在的な原因であるが84)、DNAポリメラーゼ-γ活性を阻害しないNNRTI、PI、およびINSTIもミトコンドリア障害と関連しており、様々な機序が報告されている85, 86)。ミトコンドリア障害との関連が報告されている副作用として乳酸アシドーシスやリポジストロフィー、末梢神経障害がある。

 乳酸アシドーシスは時に致死的となる代謝障害で、NRTIがミトコンドリアのDNAポリメラーゼγ活性を阻害するために発症すると考えられる。図IX-3に示すように比較的強いミトコンドリア障害を起こすddC、ddI、d4T(いずれも販売中止87)が使用されていた時代でも乳酸アシドーシスは1000患者・年あたり1.3人程度とまれな合併症である。現在ではさらに発症率は低いと考えられるが、乳酸アシドーシスを誘発しうるリスク因子(HBV/HCV共感染、肝疾患、CD4数低値、妊娠、女性、肥満)がある場合や薬剤(メトホルミン・リバビリン等)との併用時には注意が必要である。

 表IX-1に、文献的に報告された90例の乳酸アシドーシスの臨床症状を示す88)。これからわかるように、主な症状は悪心、嘔吐、腹痛などの非特異的なものが多く、軽〜中等度の肝機能障害を高率に認める。乳酸値が高度に上昇していれば(5mmol/L以上)直ちにARTを中止することも考慮する。ただし、乳酸値が5mmol/L未満でも乳酸アシドーシスの発症はあり得る。

 治療は、ARTの中断と対症療法である。thiamine、riboflavin、coenzyme Q10、vitamins C、L-carnitineなどの投与を行ったとする報告があるが、有効性は明確でない89)。回復後にARTを再開する場合は、比較的ミトコンドリア障害が少ないNRTIとされるABC、TDF、TAF、3TC、FTCなどを選択し慎重に経過を観察するか、あるいはNRTIを含まない多剤併用療法を検討する。

図IX-3 NRTIのミトコンドリアに対する影響
縦軸がミトコンドリアDNA(%)で横軸がNRTI濃度(μM)のそれぞれddC、ddI、d4T、ZDV、3TC、ABC、TDFの折れ線グラフ。ddCのミトコンドリアDNAは、NRTI濃度が0.1μMのとき100%、0.3μMのとき約50%強、3μMと30μMと300μMのときはいずれも0%。ddIのミトコンドリアDNAは、NRTI濃度が0.1μMのとき100%、0.3μMのとき120%、3μMのとき80%強、30μMのとき約10%、300μMのとき0%。d4TのミトコンドリアDNAは、NRTI濃度が0.1μMのとき100%、0.3μMのとき80%強、3μMのとき80%弱、30μMのとき80%弱、300μMのとき約50%。ZDVのミトコンドリアDNAは、NRTI濃度が0.1μMのとき100%、0.3μMのとき80%強、3μMのとき約90%強、30μMのとき100%弱、300μMのとき100%強。3TCのミトコンドリアDNAは、NRTI濃度が0.1μMと0.3μMのとき100%、3μMのとき100%弱、30μMのとき100%弱、300μMのとき100%弱。ABCのミトコンドリアDNAは、NRTI濃度が0.1μMと0.3μMのとき100%、3μMのとき100%弱、30μMのとき120%弱、300μMのとき120%強。TDFのミトコンドリアDNAは、NRTI濃度が0.1μMのとき100%、0.3μMのとき100%弱、3μMのとき約90%、30μMのとき約90%強、300μMのとき100%。

In vitroにおいて骨格筋細胞にNRTI各薬剤を投与し、ミトコンドリアDNAに及ぼす影響を検討したもの。

(McComsey et al. J Acquir Immune Defic Syndr. 37:S30, 2004より作成)。

表IX-1 乳酸アシドーシス患者90例の臨床所見
  中央値 範囲 正常値
乳酸(mmol/L) 10.5 2.4–168.5 0.7–1.2
pH 7.2 6.67–7.42 7.35–7.45
Bicarbonate (mmol/L) 8 1.2–26 24–29
Anion gap (mEq/L) 25.5 10.0–42.0 8.0–12.0
症状 人数(%)
吐き気 45 (53%)
嘔吐 44 (52%)
腹痛 38 (45%)
体重減少 19 (22%)
脱力感 19 (22%)
不眠 19 (22%)
食欲不振 16 (19%)
多呼吸 13 (15%)
下痢  8 ( 9%)
倦怠感  7 ( 8%)
腹部膨満感  5 ( 6%)
意識障害  2 ( 2%)
その他  8 ( 9%)
軽~中等度の肝機能障害 65% (UNL 1.5–10.7)

 抗HIV薬を長期間内服している患者で、リポジストロフィーと呼ばれる体脂肪の分布異常(腹部内臓脂肪の増加と、手足・顔面の皮下脂肪の減少)が生ずることが報告されている90)。明確な原因は不明であるが、脂肪細胞のミトコンドリアDNA量の減少が認められることからNRTI(ZDV, d4T)によるミトコンドリアDNAポリメラーゼγ活性阻害が一因と推測されているが、PIの使用との関連も示唆されている90)。ART開始後数ヶ月ほど経てから徐々に明らかとなり、糖・脂質代謝異常を来すとともに頬のやせた特有の顔貌になり、美容上の観点から患者には苦痛となる。その結果、QOLの低下、服薬アドヒアランスに影響をもたらす。予防・対応として、チミジンアナログを回避し、ABCもしくはTDFやTAFを使用するかNRTIを使用しない組み合わせを選択することが勧められている51)。一方、ABCまたはTDFを含むART開始後にもリポジストロフィーの発症が報告されている91)。また、薬剤の変更により、四肢の皮下脂肪は回復するが内臓脂肪の増加は改善しにくいとされている92)

 HIV感染者では、無症候性のものも含め、末梢神経障害を合併している頻度が高い。脱髄性炎症性ニューロパチー、単神経障害、血管炎性ニューロパチー、自律神経障害、遠位感覚性多発ニューロパチーを呈する。特に感覚性ニューロパチーの形で現れることが多い。発症にはHIVウイルスタンパクやNRTIによるミトコンドリア障害が関連している93)。不可逆的になる場合もあり、ddI、ddC、d4Tの使用歴がある患者に末梢神経障害を認めた場合は薬剤性神経障害を疑う。

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