VII治療失敗時の薬剤変更
2.「治療失敗」の原因
初回治療例で、服薬開始後6ヵ月以上経過しても血中HIV RNA量が200コピー/mL未満にまで低下しない場合や、一旦測定感度付近まで低下した血中HIV RNA量が再び増加する場合、その原因として以下の3点について考慮する必要がある。
(1)薬剤耐性ウイルスによる感染
細菌と抗菌薬の関係と同様に、抗HIV薬の使用が拡大するにつれて薬剤耐性HIVの増加が懸念されている。耐性HIVに感染した症例に対して、その情報を考慮せずに抗HIV薬を選択しその薬剤に耐性であった場合、十分な抗ウイルス効果は期待できず治療失敗に結びつく。米国で1998年から2004年に診断された感染早期の未治療症例の調査では、19.7%の症例で何らかの薬剤耐性変異を有していたと報告された10)。同様に、ヨーロッパで1996年から2001年に診断されたもののうち、感染早期の症例の13.5%、慢性感染期の症例の8.7%に薬剤耐性変異が見られた(ともに未治療症例)11)。薬剤耐性HIV株は野生株に比べ増殖スピードが遅く、感染後時間を経るにつれて血中での割合が相対的に低下する。ヨーロッパの報告で慢性感染期の変異率が低いのは、現在の薬剤耐性検査では主要な株しか検出できないため頻度の低下した変異株が検出されなくなるためと考えられる。したがって、感染早期の症例の耐性HIV保有率が、その時点で流行しているHIVのより正確な耐性頻度と言える。
わが国の薬剤耐性HIVの頻度に関しては、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)感染症実用化研究事業エイズ対策実用化研究事業「国内流行HIV及びその薬剤耐性株の長期的動向把握に関する研究」班による調査がある。2003年〜2020年に診断された未治療10,115例(INSTIについては2012年以降の5,078例)の薬剤耐性遺伝⼦変異保有率は8.6%であり、薬剤のクラス別では、NRTI関連が4.8%と最も多く、NNRTI関連が1.2%、PI関連が2.7%、INSTI関連が0.4%であった(表VII-1)12)。2021年時点で初回治療時に頻⽤されているINSTIやTAF/FTCの⾼度耐性に関与する変異の頻度はいずれも1%未満と低かったが、逆転写酵素領域のM184V変異がみられた症例ではHBV重複感染率が⾼く、HBV重複感染が確認された全例で先⾏するHBV治療が⾏われていたとの報告があり13)、B型肝炎の治療歴を有する症例では耐性の可能性を念頭におく必要がある。
表VII-1 日本の新規感染者における薬剤耐性変異保有率(%)*
NRTI (%) | |
---|---|
Any | 4.8 |
M41L | 0.4 |
K65R | 0.0 |
D67N/G/E | 0.2 |
T69D | 0.2 |
69ins | 0.0 |
K70R/E | 0.1 |
L74V/I | 0.0 |
V75A/M | 0.1 |
Y115F | 0.0 |
F116Y | 0.0 |
M184V/I | 0.4 |
L210W | 0.3 |
T215X | 3.5 |
K219Q/E/N/R | 0.3 |
NNRTI (%) | |
---|---|
Any | 1.2 |
L100I | 0.0 |
K101E | 0.2 |
K103N | 0.7 |
V106A/M | 0.0 |
Y181C/I/V | 0.1 |
G190E/A | 0.1 |
P225H | 0.1 |
M230L | 0.0 |
PI (%) | |
---|---|
Any | 2.7 |
L23I | 0.0 |
L24I | 0.0 |
D30N | 0.3 |
V32I | 0.1 |
M46I/L | 1.9 |
I47V/A | 0.0 |
G48V | 0.0 |
I50V | 0.0 |
I54V/T | 0.0 |
G73S | 0.0 |
V82A/L/C | 0.1 |
N83D | 0.0 |
I84V | 0.0 |
I85V | 0.2 |
N88D/S | 0.3 |
L90M | 0.1 |
INSTI (%) | |
---|---|
Any | 0.4 |
T66I | 0.0 |
G140S | 0.0 |
Q148H | 0.0 |
R263K | 0.0 |
E138K/A/T | 0.4 |
総計 8.6
(2)服薬率
ARTにおける服薬率は、抗HIV治療の成否を分けるきわめて重要な因子であると同時に、その正確な把握がなかなか困難な因子でもある。患者は医師に「服薬忘れ」があることを告げるのに躊躇する場合が多いので、他の職種の医療従事者(看護師、薬剤師、カウンセラーなど)の関与により正確な服薬率の把握に努めなくてはならない。
服薬率が低下し血中薬物濃度が標的トラフ値を下回れば、HIVが再増殖し治療失敗につながるが、同じ治療失敗にも薬剤耐性HIVを伴う場合とそうでない場合の2つのパターンがある。服薬率が軽度に低下し抗HIV薬の血中濃度が低下するとHIVが再増殖し、その中に薬剤耐性HIVがある頻度で出現する。この条件下では、不十分ながらある程度抗HIV薬の血中濃度が保たれるので、野生株HIVは増殖できず耐性HIVが選択的に増殖し、患者体内の野生株HIVが耐性HIVに置き換わっていく。一方、服薬率が高度に低下している場合は薬物選択圧がかからないため野生株HIVも増殖が可能で、しかもその増殖スピードは耐性HIVよりも早いため患者体内では野生株HIVが増殖し、耐性HIVはほとんど出現しない。すなわち、軽度の服薬率の低下は耐性HIVの増殖を許し治療失敗となるのに対し、服薬がほとんどできてない場合には野生株HIVの増殖が続き治療無効となる14)。いずれも治療失敗に見えるが、前者の場合は、服薬指導をして服薬率を向上させても同じ薬剤では耐性HIVのコントロールは困難で、多くは治療変更を余儀なくされるだろう。この場合でも、服薬状況の改善が出来れば、処方変更後に治療効果が期待できる。一方、後者の場合は服薬率の改善が重要であり、服薬率が改善すれば同じ処方のARTで理論的にはコントロールできる。しかし現実には、ART開始前から服薬率の重要性を説明しているにも関わらず、結果として高度に服薬率が低下している症例では、その服薬行動を阻止する要因の解明がなされない限り有効な治療効果は得られないだろう。この服薬率の維持に関しては、厚生労働行政推進調査事業費補助金エイズ対策政策研究事業「HIV感染症および血友病におけるチーム医療の構築と医療水準の向上を目指した研究」班による「HIV診療における外来チーム医療マニュアル」が参考になる15)。
(3)血中薬物動態
薬剤耐性変異がなく服薬率も良好と思われるにもかかわらず血中HIV RNA量のコントロールが不良な症例では、何らかの原因により抗HIV薬の血中濃度が治療目標に達していない可能性について考慮する必要がある。併用している薬剤(抗HIV薬およびその他の薬剤)との相互作用、吸収に影響を与える因子(食事と服用時間の関係、特定の食品、制酸剤)、抗HIV薬の代謝に影響を与える遺伝的背景などがある。詳細は第VIII章の3「抗HIV薬の代謝と薬物相互作用」を参照のこと。