抗HIV治療ガイドライン(2023年3月発行)

XVI医療従事者におけるHIVの曝露対策

要約

  • 医療機関ごとに独自の職業上曝露(針刺し・切創・粘膜曝露)対策マニュアルを作成して、その実施も含めて、すべての職員に周知徹底する必要がある。夜間・休日にHIV専門医が不在の状況でも対応できる体制を確立しておく事が望ましい。
  • 曝露事故が起こりHIV感染のリスクが考えられる場合は、曝露後に抗HIV薬の服薬(PEP: post-exposure prophylaxis)をすることが推奨される。服薬する場合には可及的速やかに、予防内服を開始する事が望ましい。
  • 予防内服をすべきかどうかについては最終的に被曝露者が判断すべきである。予防内服開始にあたっては専門医によるカウンセリングと効果や副作用に関する十分な情報提供が必要であるが、それによって不必要に(例:2時間以上)予防内服開始が遅れないよう留意すべきである。状況により1回目の内服を被曝露者の判断で決定して良い。
  • 標準的な曝露後予防として推奨される薬剤はRAL(アイセントレス®)+TAF/FTC (デシコビ®)HT or TDF/FTC(ツルバダ®)である。TAF/FTC(デシコビ®)は妊娠14週以降の妊婦における安全性がすでに確立しており、妊娠・出産への影響はTDF/FTC(ツルバダ®)よりも少ない点から、本ガイドラインではTAF/FTC(デシコビ®)を優先的に使用する事を推奨する。曝露後予防の期間は28日間である。
  • 薬剤耐性HIVによる曝露後予防は専門医による事例ごとの個別の判断が必要である。ただし、ただちに(例:2時間以内)専門医のアドバイスが得られない場合には、上記の標準レジメンの初回内服を開始してから、2回目以降についての専門医の判断を仰ぐ。
  • 曝露源のHIVスクリーニング検査が後に偽陽性と判明することもある。その場合には、偽陽性と判明した時点で曝露後予防を中止する。
  • 血液検査(感染症関連検査、薬剤の副作用評価)等の評価を事象発生時、予防内服開始後2週目(optional)、曝露後6週目、12週目、6ヵ月目に行う。現在検査方法で頻用されている第4世代HIV抗原抗体検査を使用する場合は6ヵ月目を4ヵ月目まで短くすることも可能である。
  • HIV専門医療機関は曝露後予防に関連して近隣の医療機関と事前に連携する必要がある。
  • 患者予後の長期化・高齢化によりHIV患者の全医療部門での診療・入院が日常化している。HIV診療に従事する医療従事者には、他部門医療従事者に対して「血液・体液曝露時の現実的な対応」を確認・指導することが求められている。

1.職業上曝露によるHIV感染のリスク

 医療者におけるHIV感染血液による針刺し・切創などの職業上曝露からHIVの感染が成立するリスクは極めて低い。強力な多剤併用抗HIV療法(ART)が行われる以前の1996年までに報告された23個の前向き検討の集計1)では、曝露源の患者の血中ウイルス量は非常に高い事が想定されるにも関わらず、針刺しによる経皮的曝露後の感染事例は6202件中20件で認められたのみであり、感染確率は約0.3%(0.32%, 95%信頼区間= 0.2%〜0.5%)であった。経粘膜曝露では約0.1%0.09%, 95%信頼区間= 0.006%〜0.5%)に過ぎず、単純な皮膚への血液の直接曝露では2712件中1件の感染例もなかった(0%, 95%信頼区間= 〜0.11%)。上記の経粘膜曝露後の感染確率(0.09%)は6検討中の1例で感染が確認された事例に基づいているが、これは患者の動脈カテーテル操作中に、皮膚や目、口腔内に大量の患者の血液が飛散した極めて濃厚な曝露事例である事は強調しておきたい2)この感染率は、B型肝炎ウイルス(曝露源がHBe抗原陽性の場合で約40%、抗HBe抗体陽性の場合は約10%)やC型肝炎ウイルス(約2%)に比べるとはるかに低いと言える。

 現在はHIV患者の全例にARTが行われるようになり、治療が成功した患者の血中ウイルス量(< 20コピー/mL)は未治療患者(数万〜数十万コピー/mL)の数千〜数万分の1以下となっている。この曝露源の血中ウイルス量の低下が、各感染経路からの感染リスクの著明な減少につながっている事が複数の報告で示されている。HIVに関する母子感染のデータでは母親の血中HIV RNA量が500コピー/mL未満では母子感染が成立しなかったとの報告もある3)。米国周産期DHHSガイドラインにおいては、母親がARTを受けていて血中HIV RNA量が1,000 コピー/mL未満の場合には、出産時のAZT(レトロビル®)追加点滴は不要であるとしている4)。HPTN052、PARTNER、Opposites AttractなどのRCTや大規模前向きコホート研究の結果、抗HIV療法を長期に継続し血中HIV RNA量が検出感度未満に維持されている患者からは性行為による伝播のリスクは非常に低い(ほぼゼロ)こともわかってきた5)

 以上を踏まえ、抗HIV薬を内服中であり、血中HIV RNA量が連続して50コピー/mL未満である患者からの曝露事例においては、多くの専門家は感染リスクは限りなくゼロに近いと考えられるようになっている。しかし米国・疾病管理予防センター(米国CDC: Centers for Disease Control and Prevention)のガイドラインは、曝露後の感染確率はゼロではないという立場から、現在でも「曝露源患者の血中HIV RNA量が検出感度未満に維持されている場合でも、曝露後予防を推奨する」こととしている6)。それに対して、英国の職業上HIV曝露後予防のガイドライン(2008年版の一部を2013年に改訂)では「If the patient (source) is known to have undetectable HIV viral load (<200 copies HIV RNA/ml), PEP is not recommended」とし、「曝露源患者の血中HIV RNA量が200 コピー/mL未満では抗HIV薬の内服は推奨しない」との立場を2013年時点で表明している7)。ただし「被曝露者が希望する場合には予防内服を行うべきである(PEP should be offered)」とも付け加えている。

 理論的には英国のガイドラインは理にかなっていると言えるが、曝露源患者のウイルス量については、実際には不確定要素が存在しているのも事実である。実臨床においては、継続的に検出限界未満であった患者に、一時的にウイルス量が検出(blip)されたり、服薬アドヒアランスの低下によりウイルス量のリバウンドを起こすことは決して稀ではない。したがって、直近(3ヵ月以内)のウイルス量により予防内服の適応の判断を行う事は一定のリスクを伴っていると考えられるが、このリスクについて、英国のガイドラインは一切考慮がなされていない。

 加えて重要な点は、「曝露後予防とはそもそも約0.3%程度しかない低い感染リスクを、限りなくゼロに近づけるために行われているものである」という本質的側面であろう。それを考えれば、曝露源患者のウイルス量の多寡によって曝露後予防内服の適応を判断する事は、決して合理的とは言えないとも考えられる。

 以上より、本ガイドラインでは米国CDCガイドラインの基準に従い、「曝露源患者の血中HIV RNA量が検出感度未満に維持されている場合でも曝露後予防を推奨する」ものとする。

PAGE TOP